No. 1、2022年、全220頁
→統合版ファイル(一括ダウンロード)
→個別のファイル(東京都立大学リポジトリ「みやこ鳥」)

目次
創刊の辞 西山雄二
巻頭言 西山雄二
特集 カトリーヌ・マラブー『抹消された快楽』
郷原佳以「非性器的なセンシュアリティのために」
中村彩「フェミニズムと精神分析、およびスピヴァクにおける女性器切除について」
カトリーヌ・マラブーの応答(西山雄二、渡名喜庸哲、馬場智一 訳)
古怒田望人「『抹消された快楽』において抹消されるトランスの快楽」
浜崎史菜「「哲学」を可能にする「外部」──クリトリスを父権的言説内に包摂し特権化するリスクの再考」
杉浦鈴「本質主義への危険な接近」
丸山美佳「抵抗と消費とアスタリスク」
特集 カトリーヌ・マラブーの可塑性の哲学
星野太「「生」の概念」
佐藤朋子「トラウマとは何の名か──『新たなる傷つきし者』」
宮﨑裕助「理性の後成説と統制的理念──『明日の前に』」
小川歩人「セクシュアリティの他者、アナーキズムの対抗概念」
藤本一勇「クリトリスのノミネート(命名・指名)──『抹消された快楽 クリトリスと思考』」
増田一夫「人新世における可塑性」
鵜飼哲「喪の可塑性と来たるべき世界史」
カトリーヌ・マラブーの応答(西山雄二、渡名喜庸哲、馬場智一 訳)
特集 フランスにおけるインターセクショナリティ批判
ファヨル入江容子「フランスにおけるインターセクショナリティ(交差性)の受容と新たな社会運動としての発展」
エリック・ファッサン「レイシズムとは何か──係争中の定義」(ファヨル入江容子 訳)
西山雄二「無条件の自由のために」
翻訳
カトリーヌ・パンゲ「束の間の時で死すこと、あるいは不滅のために唄うこと
(ジャン・ジュネとパレスチナの抵抗)」(西山雄二、佐藤勇輝 訳・解説)
デヴィッド・L・クラーク「翻訳における遺失物取扱所──ロマン主義とジャック・デリダの遺産」(森脇透青 訳・解説)
ブリジット・ウェルトマン=アーロン「政治的な裏切り──エレーヌ・シクスー『偽証の都市』」(北川光恵、西山雄二 訳・解説)
論考
八木悠允「ミシェル・ウエルベックの散文におけるポワン・ヴィルギュル」
志村響「「以外」のフランス語」
高波力生哉「署名の謎についての一考察──『シニェポンジュ』におけるépongeを手がかりに」
No. 2、2023年、全250頁
→統合版ファイル(一括ダウンロード)
→個別のファイル(東京都立大学リポジトリ「みやこ鳥」)

巻頭言 西山雄二
特集 エマヌエーレ・コッチャとの対話——メタモルフォーズの哲学
エマヌエーレ・コッチャ(清水雄大訳)
中山義達、菊池一輝、山根佑斗、人見隼平、上田圭
松葉類「エマヌエーレ・コッチャによるエコロジー批判」
宇佐美達朗「技術論の仕切り直し——『メタモルフォーゼの哲学』からの一般器官学の再考」
下西風澄「「植物の生」は「人間の生」を問い直すか──エマヌエーレ・コッチャの生命論の射程」
特集 ダリン・テネフとともに
「猫をめぐる暴力と形而上学」
「ブルガリアにおける言語モデルと文学研究をめぐる論争」(訳=北川光恵・菊池一輝・塩田典子・米原大起)
「イメージと超越──デリダと構想力の問題」(訳=高波力生哉、佐藤勇輝、竹内大祐、山根佑斗)
特集 ジャン=リュック・ナンシー(柿並良佑 責任編集)
柿並良佑 序言
小田麟太郎「ジャン=リュック・ナンシーにおける「命法的真理」の所在究明——「判断」「自由」「定言命法」を手がかりに」
安藤歴「ジャン=リュック・ナンシーによる「回帰の思考」批判について——「1968年5月」の意味をめぐって」
宗政孝希「ジャン=リュック・ナンシーにおける主体と自己——バタイユとの比較から」
髙山花子「劇場的エクリチュールの声——ナンシー&ラクー=ラバルト『舞台』の対話をめぐって」
村山雄紀「ジャン=リュック・ナンシーの「素描」——王立絵画彫刻アカデミー「色彩論争」の観点から」
翻訳、論考、研究ノート
プリュヴォスト「エコフェミニズム考――サブシステンス・フェミニズムとヴァナキュラー・エコフェミニズム」(ファヨル入江容子訳)
志村響「「星の王子さま」日本語訳対照研究——sérieuxの訳語をめぐって」
菊池一輝「持たざるものをめぐる悲喜劇——ラカン『転移』の『饗宴』読解における愛についての二つのテーゼ」
竹内大祐「バタイユとヘーゲルの終わりなき共犯関係——バタイユによるヘーゲル受容の変遷について」
山根佑斗「ジャン=リュック・ナンシー『単数複数存在』とスペクタクルの存在論」
西山雄二研究室活動報告
No. 3、2023年、全188頁
→統合版ファイル(一括ダウンロード)
→個別のファイル(東京都立大学リポジトリ「みやこ鳥」)

特集ミシェル・ウエルベック(八木悠允 責任編集)
西山雄二「巻頭言」
八木悠允「序文」
伊藤琢麻「詩と「苦痛」——ミシェル・ウエルベック『幸福の追求』を読む」
アガト・ノヴァク=ルシュヴァリエ(八木悠允訳)
関大聡「テーゼの快楽と危険――ミシェル・ウエルベックと「新しい反動」論争をめぐって」
安達孝信「ミシェル・ウエルベック『地図と領土』における郊外・機能主義建築批判再考」
長田千里「写真的記憶としての『セロトニン』」
熊谷謙介「ネオ・ヒューマンは人間の夢を見るか?——ウエルベックにおける安楽死の誘惑と鎮静の技法」
西村真悟「ミシェル・ウエルベックの小説における死を否定する試みとその失敗」
八木悠允「エッセイスト・ウエルベック? 『発言集』への注釈」
八木悠允 ミシェル・ウエルベック略年譜
八木悠允 ミシェル・ウエルベック文献一覧
No. 4、2024年、全178頁
→統合版ファイル(一括ダウンロード)
→個別のファイル(東京都立大学リポジトリ「みやこ鳥」)

特集 ジャン・ジュネ/「あわい」の思考
巻頭言 西山雄二 p. 1
特集 ジャン・ジュネ
「鵜飼哲、ジュネを語る──ジュネ研究の過去・現在・未来」(聞き手=佐藤勇輝) p. 3
エマニュエル・ランベール、ジル・フィリップ、アルベール・ディシィ
「プレイヤード版(『小説と詩』)のジャン・ジュネ」(訳=佐藤勇輝・西山雄二) p. 29
岑村傑「所有と携行──ジュネのスーツケース」 p. 42
根岸徹郎「ジャン・ジュネと演劇──「見る」ことと「書く」ことの結節点として」 p. 57
中田麻理「対であることをめぐる幻想──ジャン・ジュネ『葬儀』を中心に」p. 68
特集「あわい」の思考
宇野邦一・越智雄磨「「生の有機/非有機のあわい」をめぐる討議」 p. 77
デンニッツァ・ガブラコヴァ「記憶と虚構の間──「廃園」という自己療法」 p. 85
高桑枝実子「「記憶と虚構のあわい」に接して」 p. 94
西山雄二「たゆたえども沈まぬ都市の歴史的脈動──源川真希『東京史 七つのテーマで巨大都市を読み解く』を読む p. 96
源川真希「『東京史』へのさまざまな批評に接して──秋の大運動会の余韻」 p. 100
ダリン・テネフ「あわいとしての虚構、あるいは盲目の予言者テイレシアスの後継者たち」 p. 105
高橋博美「「あわい」という装置——単身世帯の増加と多様な連携モデル」 p. 117
八木悠允「なぜ「あわい」か? 二つの「あわい」のあいだで」 p. 125
金志成『対話性の境界──ウーヴェ・ヨーンゾンの詩学』を読む
金志成、森野紗英、米原大起、高波力生哉、西山雄二 p. 128
コリーヌ・ペリュション『世界の修復──人間、動物、自然』をめぐる討議
コリーヌ・ペリュション、八木悠允、櫻田裕紀、佐藤愛、谷虹陽、若杉茜、清水雄大、桐谷慧 p. 145
森祐太「動物性から二つの友愛へ──バタイユにおける人間と動物の関係」 p. 160
2023年度 西山雄二研究室 活動報告 p. 171
No. 5、2024年、全220頁
→統合版ファイル(一括ダウンロード)
→個別のファイル(東京都立大学リポジトリ「みやこ鳥」)

特集 フィリップ・ラクー゠ラバルト/ジャン゠リュック・ナンシー(責任編集=柿並良佑)
巻頭言 西山雄二 p. 1
序文 柿並良佑 p. 4
フィリップ・ラクー゠ラバルト「ヘルダーリンからマルクスへ──神話、模倣、悲劇」(訳=髙山花子・柿並良佑) p. 7
益敏郎「ラクー゠ラバルトとヘルダーリン、あるいはドイツ的現代性」 p. 23
上田和彦「ラクー゠ラバルトによるブランショ」 p. 36
長谷川祐輔「崇高の二重化とアナムネーシスの問い──ラクー゠ラバルトとリオタール」 p. 54
渡辺健一郎「原としての演劇──ラクー゠ラバルトの演劇/哲学」 p. 71
白江幸司「波打ち際のラクー゠ラバルト──トラウマと存在‐類型論」 p. 87
ジャン゠リュック・ナンシー「文学的共同体という概念をめぐって」(訳=小田麟太郎・山根佑斗) p. 94
山根佑斗「『無為の共同体』への導入」 p. 109
小田麟太郎「ジャン゠リュック・ナンシー「無為の共同体」、「「文学的共産主義」」を読む──共同体と書くことの問題」 p. 116
安藤歴「ジャン゠リュック・ナンシー「途絶した神話」、「〈共同での存在〉について」を読む」 p. 137
楊芊蔚「ジャン゠リュック・ナンシー「有限な歴史」を読む」 p. 153
中田崚太郎「自己放棄と第三の共同性──『明かしえぬ共同体』再読」 p. 164
山本源大「子どもの誕生について──ジャン゠リュック・ナンシーのヘーゲル読解を手がかりに」 p. 172
山根佑斗「彼方へと曝されて共に在ること──ジャン゠リュック・ナンシー『複数にして単数の存在』を読む」 p. 182